昨今、教育界ではやたらと「思考力」をつけましょうという話を耳にします。もちろん、教育行政が言い始めたことで、それにつれて学校や塾が頻繁に使っている言葉です。きっと皆さんも、塾に問い合わせをすると、うちの塾は思考力を鍛えていきます、と言われると思います。ここで、あえて、思考力なんて無視して、ひたすら知識を詰め込みます、と堂々と言える塾があってほしいとは思いますが、私は何十年も前から詰め込み教育や画一的パターン化教育が好きではないので、詰め込みますとは言えません。前者のように、自信満々に思考力を鍛えますと言っている塾に聞いてみてください。「どうやって思考力を鍛えるのですか。」と。「算数や数学の図形や論理の問題などをじっくり考えさせながらやっていきます。そのためにこんな教材を使うんですよ。」と、その塾の担当者は教えてくれます。もし、これ以外の答えがあったら見てみたいというぐらい、どの塾も一辺倒の答えだと思います。私はそこで思うわけです。それは、本屋さんでパズルの本を買ってきて解くのと何が違うのですか。スマホアプリで数独をやるのとどう違うのですか。きっと塾の先生はこう答えるでしょう。「塾でやるからいいのですよ。家だと集中力が続かないし、塾だと周りの生徒の様子も見れますからいいのですよ。」周りの生徒の様子を見ているならすでに集中してないと思うんですけど…。
そもそも、思考力とは何か。まさに、考える力です。では、それは算数や数学でなければつかない力なのでしょうか。思考するとき、私たちは常に図形を直感的にとらえて思考しているでしょうか。それよりも多くの機会で、言葉を使って思考していると思います。人類は、言葉を持っているから思考力を鍛えられるのです。であれば、国語という教科こそ思考力を鍛えていくためには重要視されなければならないのではないでしょうか。いやいや、思考する人の代表例は科学者ですよ。どうしてリンゴが落ちるかなんて、科学者であるニュートンでなければ考えませんよ。ということは、理科こそ思考力を鍛える教科でしょうか。いやいや、社会科こそ、歴史から未来を思考する大事な教科ですよ。いやいや、英語だって国語と同じ言語なんだから、思考力は鍛えられますよ。きっと、すべての学校や塾の先生は、これらすべてがうまく絡み合って、初めて思考力は本当に鍛えられるのだと分かっているはずです。
私は、と言えば、本当の考える力をつけていくだけです。考える力は考えなければつきません。誰かからこう考えるんだよと教えられるものでもないでしょうし、正直言って、答えのある算数パズルの問題を解いて本当の思考力がつくとも思っていません。その答えになるように考えるのなら、その問題に対する思考力がついているということではないでしょうか。下手したら、その思考すらパターン化されてしまうのではないでしょうか。他には応用できない。しかし、本当に子どもたちにつけたい思考力というのは、自分たちで問題解決したり、自分たちで行動を起こしたり、思考することで未来を切り開いていく力ではないでしょうか。勉強を通して、実生活に応用できる思考力をつけたいのです。本当の思考力を鍛える問題というのは、「答えのない問題」です。子どもは答えを求めたがります。大人も、答えを教えがちです。もしくは答えに誘導しがちです。だったら、いっそのこと、答えのない問題に取り組むべきなのではないでしょうか。一筆書きできる図形を考え続けるとか、読んだ文章の反論を考えるとか、自分が明智光秀だったらどうするかとか、空を自由に飛ぶためにはどうしたらよいかとか、外国の人と趣味を共有するためにはどうしたらよいかと考えてもらいましょうよ。答えばかりを求めるから、一辺倒の優等生的な解答しか生まれないのですよ。だから、私は「答えのない問題」を問い続けるのです。 come to WordPress. This is your first post. Edit or delete it, then start writing!
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